博多祇園山笠『追い山ならし』
7月12日たまたま別件で福岡入りをして、偶然にこの福岡の博多祇園山笠の『追い山ならし』に遭遇した。とても大きな祭だが福岡市の主催ではなく櫛田神社の氏子たちが行なう奉納行事のひとつで、地域住人たちが伝統的に行なってきた町内行事とのこと。
諸説がいろいろあるようだが、博多祇園山笠は1241年から疫病除去のため施餓鬼棚に乗って祈祷水をまいたのが始まりで、当時、神仏混淆の時代が災厄除去の祇園信仰と結びついて山笠神事として発展したらしい。
二週間に及ぶ祭の期間中、見せ場でもある山笠(神輿や山車のようなもの)の櫛田入りと、そのあと境内を出て約5kmのコースを舁くタイムを競う『追い山』と、そのリハーサルにあたる『追い山ならし』・・・
高さが15-6mあった山笠を舁いていたが、明治時代に電気の普及により電線敷設の為に実際に動く「舁き山笠」と展示用の「飾り山笠(10m前後の高さ)」に分化、現在は上川端通りの山笠のみが「走る飾り山笠」として『追い山ならし』や『追い山』で[櫛田入り]を奉納しているとのこと。
飾り山笠は福岡の町14ケ所で公開され、櫛田神社に向いた面を「表」とし博多人形師による絢爛豪華な人形が飾られている。「表」は武者物、その裏側を「見送り」と呼び童話やアニメが題材になる事が多いそうだ。
担ぎをする舁き手の方に二週間も続く祭の期間、仕事はどうしているのかと尋ねると「会社が休みを許可しなければ、その会社を辞める」との答えに、700年以上の伝統あるこの奉納行事が守られてきたのには・・・『男気魂』あってこそ!?
地方で古くから残る『まつり』にはとても感慨深いものがある。その土地ならではの独特な空気感と魂が伝わってくるからだろうか。
(参考 http://www.hakatayamakasa.com/history.html)