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韓国2

  • 2011/05/06 10:53
  • カテゴリー:韓流

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この美しい韓国をもう少し・・・

韓国ドラマの時代劇版等では その建築物の美しさはお馴染みだが、改めて目の当たりにすると溜息が出る。
日本も美しい建築物は沢山あり歴史を振り返りながら観ると、先人の偉大さを思い知るのだが、全体に日本と韓国では 受ける印象が違うように思う。日本は厳格で重厚感と緻密さ故の思慮深い美しさ、韓国は華麗で整然とした品格故の美しさがある。
華麗で鮮やかな印象を受けるのは、朝鮮時代に西洋の建築様式が多く入って来たためともいわれ、整然としているのは庭木等が建築物の周りに殆どないためかもしれない。これには理由があって、風水で庭を現す『口』に『木』を合わせると『困』になるからだそうだ。

韓国

  • 2011/04/22 09:34
  • カテゴリー:韓流

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私の韓国好きは今に始まった事ではない。最近の韓流ブームにのっているかのように思われるのは心外なので敢えて言っておくと、20年近く前に【釜山港へ帰れ】【想いで迷子】などヒット曲を歌っていた韓国のアーティスト『チョー・ヨンピル』が大好きで、当時日本で公演されたコンサートに通い詰めていた。今でいう“追っかけ”。この世にこんな素晴らしい才能をもらっている人がいるのか! これが天才というものか!と、私が感嘆した最初の人だ。
その後韓国に戻ったチョーヨンピルは事故を起こした為に自粛ムードで来日を控え、いつの間にか存在が消えてしまったが・・・。

但し、この韓流ブームがなければ、私自身もこんなに頻繁に韓国へ足を運ぶ事はしなかったと思うが・・・。目的の大半はいつもテキスタイル系のこと。ファッションを含むリネン等、生地からデザインされる東大門には何度行っても圧倒される。人の動きも鋭敏で気を抜いたら明日はそこに違う店がある、そんな感じだ。一見大量生産風ながら、上手く探していくと個人レベルのオリジナルデザインがあって、掘出し物が手に入る。個人デザイナーの作品は1点気に入ると、どれもこれも手に入れたくなってしまう。

タクシーの運転手に「観光したか?世界遺産は観たか?」と聞かれ、何度も韓国に行っていながら「観ていない」と答えると少々呆れられる。今回は、取り敢えず観光にも時間を使った。
『景福宮』『北村韓屋村』『徳寿宮』など歴史的な文化遺産を観て、『ソウル中央高校』『ソウルタワー』や『タイムカプセル広場』など近代建造物もしっかり観てきた。普段歩かない私は、お陰で暫く足が使い物にならなくなったが・・・。いつもだと年齢とともにパワーアップした『雨女』が猛威を振るうのだが、今回は夜遊びの際に少々降られただけで素晴らしい天気に恵まれた。ソウルは桜が満開で、日本の桜とはまたひと味違った可愛らしさがあった。

伝統とモダンが混在するかつての朝鮮王朝時の歴史や生活などに触れ、ほんの少し時空を散歩出来た気がする・・・。

リニューアル

ブログのデザインが一新した。
落ち着いた感じと可愛らしさが気に入っている。

震災から1ヶ月が過ぎ、私的には まだ1ヶ月なんだ・・・という感じだが、人によっては もう1ヶ月という人もいる。
それぞれに与えられている環境の中で過ごす時間が、感じ方を変えているのかな。
これから気の遠くなるような復興作業が残っている中、その意識の反面ガソリンの事や計画停電の事も、いつの間にか日常の一コマになっている。

人は、凄い。

日本・・・凄い。日本人でよかった。

甦る痛み

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不吉な痛みがやって来た。以前知っている痛みだ。
最近疲れると出て来ていたが、のど元過ぎると忘れてしまっていた。

久し振りの3連休、ここのところいろいろな事が精神的に重なっていたので、待ちに待った休みだった。ゆっくり出来ると思ったのは幻だった。要するに日々の疲れはツケとなって一気にこの週末にやって来た。
1日目は、家具等大きい物の買い出しがあった。ズルズル決めかねているうちに、震災迄起きてしまったので、今度は納期に余裕がなくなってしまった。集中して発注を掛ける。
2日目以降のんびりと・・・、これが甘かった。
背中と腹部に鈍痛が走る。息が出来ない。15分位すると平気になる。
不安がよぎりながら、さらりと流して3日目が来る。昼を過ぎた頃から差し込む痛みは継続的になる。吐き気を伴っている。この感じは以前にも知っていて・・・そう、『結石』だ。

段々痛みの間隔が狭くなっている。この痛みは縦になっていても、横になっていても緩和される事はない。夜中には継続した痛みになり脂汗が出て来る。トイレに何往復もするうち、血尿に変わる。うずくまろうが、立とうが(実際まっすぐ立てない)目眩がする程の痛みは継続する。
うっ・・う・・・。家族を起こして病院へ運んでもらおうか・・・でも、七転八倒の痛みに変わりがない事は、以前同じ状況で救急車で搬送された時に経験済みだ。とりあえず、夜が明ける迄頑張ろう!夜が明けたら病院へ行って、痛み止めを注射してもらって・・・etc.

朝7時5分、痛みがふと消えてトイレへ。また血尿か?と便器をのぞくと・・・!!
石が!出たぁ!
出てしまえば嘘のように復活できるのが、この『結石』。
一睡もせず迎えた朝、少々頭痛が残っているが復活。

どうやら私の体質的に、本格的な症状が始まってから6〜8時間耐えれば、石が外に出るようだ。この『結石』は体質という事なので、これから先も上手くつきあっていかなければならないな。

それぞれの長い一日

日本の深刻な危機。東日本大震災はこれから生涯忘れられない一日になる。

私はこの日、東京日比谷のビルでセミナーの最中だった。初めのうちは地震慣れしている日本人のこと、余裕で無視していたが・・・長い。段々大きくなる。壇上のパネルやカーテンがワサワサ揺れ出し、建物からは不気味なきしみ音。大きい!壇上から講演者も跳び降りる。会場ドアが開けられ誘導が始まる。秩序ある日本人。誰も我先にと押したりしない。我々の仲間は11人。

外に出ると、ガラスが落ちて来たりするのですぐにビルから離れる。誰かが『皇居方面へ!』皆ゾロゾロ芝生のある公園へ向かって歩く。と、余震だ!『皆しゃがんで!』

さて、多分帰れない。交通機関は全てストップするに違いない。取り敢えず座れて暖が取れる場所を確保しなきゃ!行き先は帝国ホテルに決まった。道に溢れる人垣を逆走しながら帝国ホテルへ向かいようやく辿り着いた時には、かなりの人がホテルに待機していた。
ホテルの予約はキャンセル待ちも受け付けないとのこと。『夜になったらロビーから追い出される?』『そんなこと致しません、ご安心ください』・・・馬鹿な質問をした。

天下の帝国ホテルは微に入り細に穿った対応で、水・乾パン・毛布などの配布、水が出る衛生的なトイレに温度管理されたエアコン。帰宅難民の中では、誰よりも恵まれた環境の中で一夜を過ごしたに違いない。またソファーの隣に座った男性が、たまたま居合わせた我々を気遣ってくれ、椅子数を揃えてくれたり近くのコンビニへ行って食べ物を買って来てくれたりと、『地獄に仏』とはまさにこのこと。人の真価はこういう時に問われるんだろうな。

長い夜が明けるとホテル側がパンと温かいスープを配ってくれた。その美味しいこと・・・
いつか普及したら、きっと帝国ホテルに宿泊しよう!と皆で誓った。

この度被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。

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