そろそろ春
- 2011/03/04 16:57
- カテゴリー:日々つれづれ
打合せに行く道の途中、普段なかなか見上げることのない空を仰ぐ。
道が狭いので、お客様のところ迄車が入れない。徒歩で細い階段を昇る。
それが幸いし、芽吹き始めた梅が可愛らしく揺れているのを発見。
風はまだ冷たさが残っているが、陽射しは柔らかく暖かい。
春が来る・・・
打合せに行く道の途中、普段なかなか見上げることのない空を仰ぐ。
道が狭いので、お客様のところ迄車が入れない。徒歩で細い階段を昇る。
それが幸いし、芽吹き始めた梅が可愛らしく揺れているのを発見。
風はまだ冷たさが残っているが、陽射しは柔らかく暖かい。
春が来る・・・
知人から届いた葉書は、趣味で制作している鎌倉彫の展示会案内だ。日曜日の午後、久し振りに鎌倉へ繰り出す。
家から車で(渋滞していなければ)15分程度で鎌倉まで行ける。行くといつも素敵な街だなぁと思いつつ、のんびりじっくりとは観ていない。日曜日とあって名物人力車もフル活動している。さすがに桜の時期にはまだ早く季節感的には少々物足りないが、それでも老若男女を問わず人は多い。
鎌倉生涯学習センターのギャラリーに着くと、朱色の見事な作品が並んでいる。
美しく完成した形がそこにあるだけでは、その作品がどれほどの時間と技術が必要であるかは伝わりにくいのだが、この『有形』を脳裏で『無形』まで作業工程を戻すと想像し易い。
すくすく育った『木』という材料から、深さや緻密さを施してこの伝統ある鎌倉彫が完成するまで・・・ん〜すごいなぁ!
知人の作品は、八方刀痕という技法による古鏡組盆が印象的だった。技術のいる技法という事で、確かに聞くほどに見るほどにその繊細さと人柄が滲み出ている。他にも葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」を彫った壁掛と、一枚物を彫り込んだ手刳盆を出されていた。
どの作品も極めた技術の奥深さに感動。
ありがとうございました。
帰りに雷神堂の煎餅を頬張りながら帰る。
『着物』好きだった母は、『着物を買わなかったら家がもう一つ買えた』と 言っていた。
遺された着物を整理するとき、それが嘘ではなかったことが証明された。
私は和装に全く興味がなかった。知識もないし着る機会もない。
ところが、子供の七五三や成人式など無縁でいられなくなると、目にしたり手にする機会が増える。改めて、着物の奥深さを知る。
柄の一つ一つに意味があり、想いが込められている。
着てしまえば同じに見える着物も、時や場所を選び、その礼節などが頑なまでに守られている。
着物を着ようと思うと、不慣れな私は先ず何をそろえれば着られるのか・・・というところから始まる。和ダンスの中からそれらを引っ張り出すこと自体、かなり高いハードルになっている。組み合わせ、色・柄・種類・季節など様々な用途に合わせた着物を選び、帯を選び、小物をしつらえる。
それでも着物を購入しようと思うとかなりな高額で、着物の反物だけあっても着られない。着物を仕立てて、襦袢を仕立てて、帯・草履・帯揚・帯締・バック・・・etc・・・
挙句 自分で着られないとなると、着付け、髪結いまで費用が嵩むだけではなく、時間と労力まで洋服の何倍も掛かってしまう。
せめて、母が遺してくれた着物に感謝しよう。
そしてタンスの肥やしになっている着物たちに、一度は袖を通してやりたい・・・と思うようになった。