エントリー

日々つれづれ

大阪

ファイル 121-1.jpgファイル 121-2.jpgファイル 121-3.jpg

お盆休み初日に、一人で大阪へ発った。所用ができて急遽決まった大阪行きは、全てネットで手配をした。実に休みの2日前のこと。
飛行機は乗り物の中で一番好きだが、以前はチケットや搭乗手続きが面倒だった。
今では全日空の場合ネットで予約し座席指定も終えると、マイレージカードさえあればチケットも必要ないし搭乗手続きの必要もない。荷物を預ける時も、搭乗口でもそのカードさえあればOKなのだ。
半年も空港に行かないとシステムそのものが変わっていたりするので、世の中の進化には驚くものがある。現地空港からはレンタカーを手配してあったので、行き先をナビに登録して出発。高速道路が案内され渋滞を懸念したが、それ程でもなく順調に目的地に到着した。
所用を終えてホテルへ到着したのは夜中の12時前。それからお風呂に入って就寝。
翌日は朝食を終えてからホテルに併設されている美術館を見て、伊丹空港そばにある日清食品のラーメン博物館へ行った。カップヌードルの歴史を振り返り、世界でひとつの『マイカップヌードル』を製造し、私の小旅行は終了した。

猛暑で体力は消耗したが、密度の濃い充実した二日間だった。

針金ワンダーランド

ファイル 120-1.jpg

先週土曜日に、そごう横浜店で開催されていたワイヤーを使って制作されたオブジェやアクセサリーなどの展示即売へ行ってきた。
制作者・林雄三氏は、各地のデパート催事やギャラリーに出展し、その場で実演販売をされている。
オリジナルのネームキーホルダーをお願いすると、会話を楽しみながら目の前で器用に手を動かして制作してくれる。作品はどれも針金とガラス玉・水晶などで出来ていて、均整のとれた無駄のない、シンプルで洗練された形をしている。

一目で気に入ったのは、三輪車のネックレスだ。車輪もハンドルも動く。
なんて可愛いんだろう!

そして・・・予定外にも購入してしまったのが、ハーキマーダイヤモンドのネックレス・・・。これは水晶だが、原石の状態から光輝を放ち透明度が高く、ヒーリングの観点からは肉体・精神・感情の繋がりを強化し身体エネルギーの詰まりを解消し、鮮明な夢をみたり、夢の中で気付きをもたらしたりすることから、ドリームクリスタルとも呼ばれているらしい。
この神秘感に取り憑かれ、林雄三氏が制作した金の鎖と一緒に思い切って・・・

向こう3ヶ月の外食費で夢が見られるなら・・・

ファイル 120-2.jpg

あめつちのはじめ

ファイル 115-1.jpg

先週の土曜日に、鎌倉にある西御門サローネで『やまとかたり あめつちのはじめ』という古事記・神代篇冒頭の朗読を聴きに行って来た・・・日本の言葉の力・美しさ・命のつながりを朗詠する大小田さくら子氏、自然と折り合う人々の原点にある感覚を表現するネイティブフルートを吹く真砂秀朗氏、多芸多才で天然空洞木楽器ディジュリドゥを吹くKNOB氏の3人が創造した世界は、天空を漂っているような浮遊感と生命を吹き込む風があった。

初めて行った鎌倉の西御門サローネは、閑静な住宅街に大正15年に建てられていて昭和11年迄作家/里見弴邸であったとのこと。平成6年より市の重要景観建造物(第8号)に指定されている。現在は所有者より借り受けたstudio accaが、集い・学び・語らいの場として提供。通りから西御門サローネ迄歩く間に、時間迄遡ってしまうような建物だ。

私自身、朗詠を聴く機会は今回が初めて。時空を超えた「かたり」は、ストレートに意味を理解することはできなかったが、生命そのものに語りかけられているかのような、神聖な雰囲気は感じることができた。その語りを更に雰囲気あるものに仕上げていたのが、初めて耳にした楽器の音色だった。耳で聴く音楽というよりは、生命で聴く音楽という感じ。

とても余韻のある一日だった。

甦る痛み

ファイル 110-1.jpg

不吉な痛みがやって来た。以前知っている痛みだ。
最近疲れると出て来ていたが、のど元過ぎると忘れてしまっていた。

久し振りの3連休、ここのところいろいろな事が精神的に重なっていたので、待ちに待った休みだった。ゆっくり出来ると思ったのは幻だった。要するに日々の疲れはツケとなって一気にこの週末にやって来た。
1日目は、家具等大きい物の買い出しがあった。ズルズル決めかねているうちに、震災迄起きてしまったので、今度は納期に余裕がなくなってしまった。集中して発注を掛ける。
2日目以降のんびりと・・・、これが甘かった。
背中と腹部に鈍痛が走る。息が出来ない。15分位すると平気になる。
不安がよぎりながら、さらりと流して3日目が来る。昼を過ぎた頃から差し込む痛みは継続的になる。吐き気を伴っている。この感じは以前にも知っていて・・・そう、『結石』だ。

段々痛みの間隔が狭くなっている。この痛みは縦になっていても、横になっていても緩和される事はない。夜中には継続した痛みになり脂汗が出て来る。トイレに何往復もするうち、血尿に変わる。うずくまろうが、立とうが(実際まっすぐ立てない)目眩がする程の痛みは継続する。
うっ・・う・・・。家族を起こして病院へ運んでもらおうか・・・でも、七転八倒の痛みに変わりがない事は、以前同じ状況で救急車で搬送された時に経験済みだ。とりあえず、夜が明ける迄頑張ろう!夜が明けたら病院へ行って、痛み止めを注射してもらって・・・etc.

朝7時5分、痛みがふと消えてトイレへ。また血尿か?と便器をのぞくと・・・!!
石が!出たぁ!
出てしまえば嘘のように復活できるのが、この『結石』。
一睡もせず迎えた朝、少々頭痛が残っているが復活。

どうやら私の体質的に、本格的な症状が始まってから6〜8時間耐えれば、石が外に出るようだ。この『結石』は体質という事なので、これから先も上手くつきあっていかなければならないな。

それぞれの長い一日

日本の深刻な危機。東日本大震災はこれから生涯忘れられない一日になる。

私はこの日、東京日比谷のビルでセミナーの最中だった。初めのうちは地震慣れしている日本人のこと、余裕で無視していたが・・・長い。段々大きくなる。壇上のパネルやカーテンがワサワサ揺れ出し、建物からは不気味なきしみ音。大きい!壇上から講演者も跳び降りる。会場ドアが開けられ誘導が始まる。秩序ある日本人。誰も我先にと押したりしない。我々の仲間は11人。

外に出ると、ガラスが落ちて来たりするのですぐにビルから離れる。誰かが『皇居方面へ!』皆ゾロゾロ芝生のある公園へ向かって歩く。と、余震だ!『皆しゃがんで!』

さて、多分帰れない。交通機関は全てストップするに違いない。取り敢えず座れて暖が取れる場所を確保しなきゃ!行き先は帝国ホテルに決まった。道に溢れる人垣を逆走しながら帝国ホテルへ向かいようやく辿り着いた時には、かなりの人がホテルに待機していた。
ホテルの予約はキャンセル待ちも受け付けないとのこと。『夜になったらロビーから追い出される?』『そんなこと致しません、ご安心ください』・・・馬鹿な質問をした。

天下の帝国ホテルは微に入り細に穿った対応で、水・乾パン・毛布などの配布、水が出る衛生的なトイレに温度管理されたエアコン。帰宅難民の中では、誰よりも恵まれた環境の中で一夜を過ごしたに違いない。またソファーの隣に座った男性が、たまたま居合わせた我々を気遣ってくれ、椅子数を揃えてくれたり近くのコンビニへ行って食べ物を買って来てくれたりと、『地獄に仏』とはまさにこのこと。人の真価はこういう時に問われるんだろうな。

長い夜が明けるとホテル側がパンと温かいスープを配ってくれた。その美味しいこと・・・
いつか普及したら、きっと帝国ホテルに宿泊しよう!と皆で誓った。

この度被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。

エントリーページ移動

ユーティリティ

2024年11月

- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Category Archives

Page

  • ページが登録されていません。

Recent Entries

粋なコースター
2016/11/08 11:13
長崎
2016/11/05 10:55
久保田一竹美術館
2016/09/20 09:54
キンギョ イン ザ スカイ
2016/08/20 09:45
細川佳代子氏 講演会
2016/06/07 16:46
BlogGAME