クリスマスツリー
- 2010/12/20 08:42
- カテゴリー:日々つれづれ
街にはいろいろなツリーが飾られている。
以前はこの年末の、気忙しくクリスマスからお正月に掛けての時が一年中で一番好きだった。
いつの頃からか、クリスマスへのイベント感は薄れて、周りにディスプレイが施されてようやく気付く。
少し反省。もう少し心に余裕を持っていなければいけないな。
街にはいろいろなツリーが飾られている。
以前はこの年末の、気忙しくクリスマスからお正月に掛けての時が一年中で一番好きだった。
いつの頃からか、クリスマスへのイベント感は薄れて、周りにディスプレイが施されてようやく気付く。
少し反省。もう少し心に余裕を持っていなければいけないな。
日曜日に『ドガ展』・・・行ってきました。
人垣の後頭部を見に来たんじゃない!と怒鳴りたくなるほど混んでいた。
ドガの踊り子の絵は有名だが、『エトワール』は、やはり名作だった。
『エトワール』の前の人垣は一際多く、しかも人が回転しない。それでも合間を縫って何とか作品の正面へ・・・。
想像していたよりもサイズは小さかったが、絵の中の踊り子がスポットライトを浴びて陶酔したような表情がくっきりと浮かんでいる。幾重にも“影”を重ねていくことで光を表現するのだが、この『エトワール』は今そこで生のスポットライトが当たっているのかと勘違いするほど、微妙な光の加減が見事に描かれていた。
ドガは動きの激しい踊り子や馬の絵を数多く残しているが、視力の弱かった彼は蝋の彫刻を作る事で、その動きを手で視たのかな・・・。
名作と言われる作品には、やはり理由がある。
早くも街はキラキラ、クリスマスディスプレイ・・・
昔は自宅でも一大イベントでツリーの飾付けや、プレゼントやパーティーの準備に追われたものだが、最近は街や住宅地で見られる装飾ディスプレイを、見て歩く方がなんだか楽しい。
今年の夏は、きつかった。
元々暑さは大の苦手。
しなければならない事が山積みだった今年の夏、
結局ドロドロ過ごして終わってしまった。
マンション入り口の植え込みに
ほんの一房、
季節を間違えてしまった紫陽花。
ほの暗い中で
そこだけが青く光っていた。
昔はよく手紙を書いた。
最近は携帯電話やメールの普及で、近況報告や用事は簡単にすませてしまう。
まだ、携帯電話やメールがなかった頃は殆どが手紙で、緊急なものは固定電話を利用した。
友人たちとのコミュニケーションツールのは、文通や回覧ノートなどだった。
久しぶりに届いた手紙の差出人は、私が中学生のときにボランティア団体の事務局宛に送った手紙に、返事をくれた『事務局の偉い人』だ。
その『事務局の偉い人』とは、それから実に30年以上手紙のやり取りが続いている。
何事にも献身的に取り組まれ、活動や行いが新聞などにも取り上げられ、それらを見る度に頭が下がり、私にとっては雲上の人。
しばらく都会を退いていたが、縁あって東京スカイツリーが間近に見られる都心へ再び戻られたとのこと。
30年来、ことあるごとに手紙を送り続けてくれた『事務局の偉い人』と、直接お会いしたのは2回のみだが、このレトロなやり取りは世間を知らず右往左往する私を、いつも見守り続けてくれた気がする。